2009年11月22日

民主党小沢幹事長の裏金疑惑

もはや風物詩のようにも感じられる政治家の疑惑について敢えてコメントは差し控えますが本日思うこと。

相手を貶める又は批判をするのはとても容易いこと。
対案を出してこそ初めて批判も生きると思います。

政治家に対して常々思うのは、信任のための投票ではなく、最高裁判所判事のように、批判投票も投じられるようにすれば投票率は上がると思うのです。

投票する人は皆無でも、この人だけは絶対嫌だという民意を反映できる。

バーターによる組織票も、選挙という性質上は個でなく集団の意見集約のため仕方がないのですが、マイナスの批判票を直接投じることが出来れば特定利益団体との関係だけがすべてではなくなる。

それと、秘書がやったことで自分は全く関知しないとか、自分の事を棚に挙げて疑惑が表面化した人だけを的に口撃するという神経が管理人は分かりません。

声高に不平・不満・批判をする人は自分自身聖人君主なのか?という思いもあります。

自分が迷惑を掛けることもあれば、迷惑を掛けられることもある。普通はお互い様だからと、悪く言えばなぁなぁ、よく言えば相互理解の精神で成り立っていた社会だと思うのです。

管理人の祖父も地方で議員をやっていた時期があったので、税理士にならなければ議員にもなりたいと思った時期もありましたが、これまで様々な人に迷惑を掛けてきたことを思えば議員になんてとてもなれやしません。

利の有る無しに関わらず、ただ声の大きい人が得をするという世界が変わっていけば良いと日々思いつつ、納税の義務はきちんと果たすとともに、無駄な税金を払わない権利を十分に行使していけるよう思うのでした。

アルコールが入っているとはいえ、説教臭くなってスミマセン。

pet73 at 00:47コメント(0)トラックバック(0)時事問題  この記事をクリップ!

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